「押すなよ、押すなよ」と言うと押されるというダチョウ俱楽部のギャグがありますよね。実は、あれは人間心理の妙(心理的リアクタンス)をうまく利用しているのだそうです。
うちの小学生息子も「『押すなよ、押すなよ』って言うのは『押せ』というフリでしょ?」とか、どこかのクレヨン〇んちゃんみたいなことを言いますw
その習性を利用した、こんな絵本が最近ヒットしていますよね。
ぜったいに おしちゃダメ?という絵本です。
この絵本は、「押しちゃダメ」と言われれば言われるほど押したくなるという心理的な習性を利用しています。
息子が2歳くらいの時、バスの停車ボタンを押したがって大変な時期がありました。
あらかじめ「そのボタン、押しちゃダメだよ」って注意しようもんなら最後、降りるまでずっと押したがります。何で「押しちゃダメ」って言えば言うほど押したくなるのでしょうか。
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もくじ
「心理的リアクタンス」とは
私も子育て経験者として
「走っちゃダメ」と言われて走る、「登っちゃダメ」と言われて登る息子を見て、
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”tomato2.png” name=”トマトさん”] 子育て間違えたのかしら[/speech_bubble]
って思うことも度々あります。
決めつけられると反発する
人は、自分の行動を自分で決めたいという欲求があります。リアクタンス(reactance)とは、「抵抗」を意味する言葉で、自分で行動する自由を脅かされていると感じたとき、自由を取り戻して確保するために敢えて反発するということなんだそうです。
だから、「〇〇しちゃダメ」と言うと、自分の自由を奪われた気になってしまってとっさに〇〇してしまう…こういう図式なんですって。
潜在意識の視点で語る
この「押すなよ押すなよ現象」を、今度は潜在意識の観点から解説してみましょう。
潜在意識についての詳細な説明は割愛しますが(それだけで本1冊分になるのでw)、人が自分で認識できる「意識」は、実は意識全体の5%(顕在意識)で、それ以外の自分が認識できない部分の「意識」が95%を占めていると言われています(潜在意識)。
よく、「頭では分かってるんだけど」ってことがありますよね。これは、顕在意識では動き出したいのに、潜在意識がブレーキをかけているということなんだそうです。
で、その潜在意識とやら…
「人の潜在意識は否定語を理解できない」というのだそうです。
だから
- 走っちゃダメ→「走る」に意識が行く
- 泣かないで→「泣く」に意識が行く
- 〇〇忘れちゃだめよ!→「忘れる」に意識が行く
ということになるんだとか…
まあ、どっちの説を信じるにしても「押すなよ押すなよって言われると押してしまう」のは仕方がないということですね。
となると…お母さんは、どのような心構えを持ち、どのように声掛けするといいのでしょうか?
「ダメって言いたくないのに他の言い方が思いつかない」ってことは、私もよくあります。
子育ては連鎖する?
個人的な観点ですが、心理学については「これが絶対的な正解」というものは現時点では存在しないと思っています。巷にいろんな心理学や理論が存在しますが、ぶっちゃけどの説を信じるのも個人の自由かと思います。「現時点ではそれが正解に近いだろう」というイメージでみんな語っているって私は解釈しています。
子育ても同じで、お母さんが「現時点で持っている自分の選択肢の中ではこれがベスト」だと思っている方法で子どもに接しているだけで、そもそもそれが子どもにとってのベストかどうかは関係ないのです。
しかし、子どもはある程度の年齢になるまで、生まれ育ってきた環境やお母さんの子育てが全てなわけじゃないですか。しかも、学校で子育てを教えてくれるわけではないので、どこかで意図的に軌道修正でもしない限りそれしか知らないわけですから、良くも悪くも代々受け継がれていくわけですよ。
「ダメって言いたくないのにダメって言ってしまう」のは、常に自分の中に「ダメ」があって、他人にダメ出しをしている分自分にもダメ出しをしているという現象でもあるんだそうです。でも、その「ダメ」の基準は、親自身が幼少期に身に着けた「常識」「普通」によって決まっていることもありますね。
愛情だと思っていたことが
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”tomato1.png” name=”トマトさん”] 愛情だと思って厳しく接していた[/speech_bubble]
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”tomato1.png” name=”トマトさん”] 愛情だと思って細かいことを言っていた[/speech_bubble]
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”tomato1.png” name=”トマトさん”] 「〇〇してあげる」のは愛情だと思っていた[/speech_bubble]
それは「子供のため」ではなく、意識してないところで
- 他人の目が気になり、躾が出来ていないと「ダメ母なのでは」と思って厳しく接してしまう
- 自分を犠牲にしてでも「家族の為に尽くす」のが当たり前だと思っていた。そうしないと「自分本位って言われるのでは」と思っていた。
- 子どもと対等な立場で接すると子どもに舐められる(と思い込んでいる)から、常に上の立場でいないと…とマウントしてしまう。
と、実は全然「子供のため」ではないということもあります。これも、先祖代々の教えによって受け継がれている要素が大きいので、意識しないでやっていることが多いかと思います。
で、どうしたらいいの?
これが一番難しい問題なんですよ。私も何年も追い求めていたのですが
「で、どうしたらいいの?」と他人に聞いているうちは答えは見つからない
のではないか、というのが現時点の私の結論。
ただ、最近はヒントになる書籍やインターネットの記事もたくさんあります。ただしあくまでこれは参考にしかならないということ。その人にとってはそれがベストだったというだけで、それを参考にしたり組み合わせたりして自分にしっくりくる方法を自分で選び取るしかないのです。
気づいてしまったら「覚悟を決める」しかない…?
この状況は、誰かが変えてくれるわけでもなく、誰かのせいにしても時代のせいにしても何も変わりません。
- こうあるべき
- これはありえない
- これが正しい
- これが「普通」でしょ?
を振りかざして子どもに躾じゃなくて「押しつけ」をしているうちは、きっと何も変わらないでしょう。気づかない人たちが多数いる中、うっかり気づいてしまったら
「今持っている私の常識は本当に常識なのか?」
ということを、思いつく限り一つずつ手放していく「覚悟」を決めるしかないのです。
自分の中では角質のようににこびりついている「普通」「常識」って、他の人からすれば「普通」でも「常識」でもないことって多かったりするのです。SNSなどで「これって常識?」ってつぶやいてみれば、それが常識じゃないこともよく分かるでしょう(それが常識じゃなかったからと言って、決してあなたのことを否定しているわけじゃありませんからね)。
これは子供向けの絵本ですが、「それしかない」って思いこんでいるのは、実は大人の方が多いのではないかと思って読みました。「絵本は子どもが読むもの」って思いこんでいる大人は多いでしょ?
自分の心が軽くなると、家族の心も軽くなる?
私が「子育ては連鎖する」のを知ったのは20代前半で、「自分の代でこの連鎖を断ち切る」と強く決心したところで、やっぱり「伝家の宝刀」を抜いてしまうことは多々あります。
最近は、自分を満たして、その後「半径5メートルの周囲を満たす」というのはあちこちで言われるようになりましたが、うわべだけ満たそうとするとおかしな方向に行くことが多いと感じています。
自分の行動に迷いが出たら「本当は、私はどうなりたいのか」「今、私はどうしたいのか」「今、この状況で自分を満たすために自分に出来ることは何か」というところにまず焦点を置いてみる練習をしてみると、他人に翻弄されない自分が少しずつ出来てくるかもしれません。
そういえば、以前、ある人のコーチングセッションを受けたときに「他人の行動がアレコレ気になるなんて、あなた、暇なのよ」とバッサリ斬られたことがあります。笑。自分のことに集中していたら、他人から何言われたって、何していたって気にならなくなるわよ…と言われてごもっともだと思ったことを思い出しました。
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