小学校で読み聞かせボランティアをしていると、高学年は選書が難しいと思う人が多いのか、敬遠されることも多いです。ネットで高学年向けの読み聞かせ本を探していた時に、「二番目の悪者」に出会いました。
「これが全て作り話だと言い切れるだろうか?」という冒頭文。
気になる、けど、その後の展開が全く読めないその冒頭…
ドキドキしながら読み進めていったその先には、読み始めたときには想像もしなかった様々な想いや感情が頭をよぎるのでした。
スポンサーリンク
もくじ
「事実」と「噂」と「真実」が混同している現状
王になりたい金のライオン。そこには信頼が厚い銀のライオンがいて、銀のライオンが王様になるのでは、という流れで始まります。
どうしても王様になりたい金のライオンは、銀のライオンの悪口を「噂」と称して言いふらします。その出来事が起こったこと自体は「事実」なのですが、解釈は恐ろしく悪意に満ちており、「真実」とは程遠いものであることは、「噂」を聞いただけでは分かりません。
最初は信じていなかった「街の者」たちだったが、次第にその「噂」は「真実」として語られることになっていき…。
人は見たいように物事を見る
この本で、一番私が「怖いな」と思ったのが、「噂」が「噂」でなくなって「真実」として語られていく過程。
実際に現場に行って様子を見たらそんな解釈は出来ないはずなのに、他人から悪意ある解釈を吹き込まれる、それがたくさんインプットされるとなると話が変わってくるというのです、
自分が接した相手のあの行動、思い返せば実は悪意があったんじゃないか…と「悪意」にフォーカスしてしまうという…。
相手のやることなすこと、すべてが「悪意」というキーワードと共に結び付けて考えてしまうのです。「実は、あれ、ああだったんじゃない?」って、「悪意」というフィルターを通してその解釈が捻じ曲げられていくのです。
これって、私たちの日常、例えば、井戸端会議でも行われていますよね。
「人づてで得た情報」は、その「伝えた人」の価値観や思い込みなどのフィルターを通して解釈されたことであり、「真実」とは別物なのだ、ということを忘れてしまって、私たちはあたかも「真実」だと思ってそれを広めていないだろうか…私は背中がぞくっとしました。
こんなはずじゃなかったのに
この本に出てくる「街の者」には、悪気は全くないのです。中には銀のライオンをかばう声もあるのですが、あくまで少数派のその声は「噂」の流れに消されていくのです。
そうして、金のライオンはめでたく王になることが出来ました。しかし、国の行く末はどうなったのでしょうか。
そして、「噂」を広めた「街の人」はその後の展開に
と。自分たちがその流れに間接的に「加担」していたことについては想像も出来ていません。
読後感想
何と言ったらいいのか…日常におけるよくある話、だけど、「よくある話」でとどめておけない話、でもあるな…というのが率直な感想ですね。
「これが全て作り話だと言い切れるだろうか?」に立ち返る
そして、読み終えた後に、冒頭の
に立ち返ると、ゾッとしました。
私たちが情報としてインプットしているものは、実際に自分の目で見たもの以外は基本的にすべて「誰かの解釈」が間に入った状態で私たちの前にやってくるのです。
新聞だって新聞社の意向や新聞記者の意図が入っているし、テレビだってテレビ局の意図した編集が入っていることを忘れずに、情報のインプットや取捨選択を行っていきたいものです。
スポンサーリンク