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「ママ友」はいる?いらない?適度な距離感を持って付き合おう(前編)

子育てをしていると、「ママ友どうしよう」って考える人は少なくないと思います。
特に、学生時代や職場での人間関係で、特に女性同士のうまくいかなかった経験を持つ人は、「ママ友」と聞いただけでいいイメージ持たない人もいますよね。

実は、私もその1人でした。そんな私が「ママ友」問題をどうやって捉えて過ごしてきたかを書きたいと思います。

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そもそも「ママ友」とは?

子供を介して「〇〇ちゃんのママ」として知り合った人のことを指すのかな、と私は思っています。
同じママ同士でも、例えば、学生時代の友人とか職場などで知り合った人は「ママ友」と呼ばないですかね?
でも、その中でも子供を含めた家族ぐるみで公園に行ったりすると「ママ友」になるのかな…と思ったりして。
そもそも「ママ友」の定義そのものがあいまいですよね(笑)
あなたにとっての「ママ友」って何でしょう?

「ママ友」にまつわるイメージは?

そもそも、人によって定義があいまいな「ママ友」。
でも、「ママ友にまつわるイメージって何ですか?」って聞くと…

っていませんか?

実は、過去の私がそうでした。

もう女なんて信じない

私は、中学と高校の6年間を女子校で過ごしたのですが、その時に「ある日突然無視されるようになった」「うわべだけ仲の良い人間関係」「相手によって言っていることが違う」っていうのを経験しました。
親友だと思っていた人に本心をうち開けたら、知らないところでバラされて話のネタにされた…とか、私が話したことをものすごく悪い方向に捉えられて(しかも拡大解釈されて)他の人に噂として広められたりもしました。

そんな経験があったからこそ、大学以降は「なるべく女性が少ない環境へ」意識して身を置くことにしたのです。

本当に友達と呼べる人は少なかったけれど、それで十分だと思っていました。

そんな私が結婚して、出産を迎えるにあたっての恐怖。

それは、過去の経験から、女性同士の人間関係が苦手な私が「ママ同士の人間関係なんて、想像しただけで恐ろしい」って思ってしまったのです。

出産してみて考えが一変

出産してみたら、言葉が話せない、何で泣いているのか分からない赤ちゃんとずっと一緒にいる生活が続きました。
私は義父母と同居しているので「日中に大人と話したい」というのはありませんでしたが、子供と1:1でずっと一緒にいるのがしんどいと感じるようになってきたのです。
自宅の近辺は同じくらいの年齢の子どもがいなかったので、「どこに行ったら同じくらいの赤ちゃんと出会えるんだろう」って市の赤ちゃん訪問で来てくれた保健師さんに相談したことがあります。

離乳食だって、市の講座を受けに行ったり本を読んだりすれば分かる。
熱を出したときに小児科を選ぶのもネットの地域コミュニティに書き込めば教えてくれる。

だから、ママ友は「いらない」といえば、いらない。

でも、ちょっとしたことを話して共有したい、子供を公園で遊ばせながら少しおしゃべりしたい、でも、人間関係が怖い…まさに「でもでもだって」で堂々巡り。

そんな時期が続きました。

どうする幼稚園選び

当時、私は専業主婦だったので、子どもを幼稚園に入園させようと思ったのですが…

どこの幼稚園を選んだらいいのかわからない

のです。私が居住している地域は、徒歩圏内に幼稚園が無いので余計に悩みました。

幼稚園情報は、ネットの地域コミュニティでもある程度は分かるのですが、最終的には自分で聞いて仕入れるしかなかったのです。公園で同じくらいの年齢を連れているお母さんに片っ端から声をかけて幼稚園情報を聞いていました。
そこで分かったのは、自宅より徒歩10分以内に園バスが来る幼稚園はたくさんあったのですが、自宅の近くを通る園バスは1つ。息子の性格には合っていそうだけど…

「幼稚園に出向く頻度がほかの幼稚園より多く、お母さん同士の結びつきが強い」

…。私にとっては目まいがするほどしんどい条件でしたが、息子に合っている幼稚園が他に見つからなかったので、覚悟を決めて入園させることに。「ママ友どうしよう」なんて、そんなことを考える余裕は当時の私にはありませんでした。ママ友はいなければ別にいいと思っていたし、実際に最初の1年間は、誰かと特別に親しくした記憶がありません。挨拶程度…くらいでしたかね。入園前から知っている知り合いがいたので、その人とずっと喋っていました。

選択理論心理学との出会い

「子育てが楽しくなるママカフェ」との出会い

子供を幼稚園に入園する少し前に、「子育てが楽しくなるママカフェ」という育児の講座に行きました。この講座は、アメリカの精神科医、ウイリアム・グラッサーが提唱した「選択理論心理学」という心理学を考え方のベースにして

みたいなものを講座形式で伝えているものです。私はそこで4年くらい学び、最後の2年8か月は地域で開催する際の主催者をしていました(注:今、私はママカフェとは直接的なかかわりはありません)。

選択理論心理学を学びたい

ママカフェで選択理論の考え方のベースを学んでから、ママカフェのベースとなる選択理論心理学の考えを学ぶために「リアリティセラピー」を学ぶことになります。(注:リアリティセラピーとは、「選択理論心理学を基盤として行われるカウンセリング手法」です。出典:日本リアリティセラピー協会ホームページ)

選択理論心理学の詳細はここでは省きますが(とても書ききれないw)、私は選択理論心理学の考えを知ることによって

ということが分かり(もちろんこれだけじゃありません。ほんの一部です)、周りの人に振り回されることがかなり減りました。

 

選択理論に限らず…

選択理論心理学とよく似ていると言われる「アドラー心理学」をはじめ、いろいろなジャンルの心理学の本やスピリチュアルな分野の本も、興味があったものは片っ端から読んでいきました。あ、今も読んでいるので現在進行形ですね(笑)

どの分野の本を読んでも、本質の部分では大差が無いように私は感じました。もしも、私の考えと違うことが書いてあっても、それをどう捉えてどう取り入れるかは「自分で決めることができる」のですから。

「ママ友が必要な時」ってどんな時?

で、話をママ友に戻します(笑)

運よく、このタイミングで選択理論の考え方が身についてきたので、そもそも「ママ友を作る、作らないにこだわることが無くなった」のでした。その中で冷静に考えると…

「ママ友」というとあいまいな定義を語るのも微妙なのですが…、まあ、「ママとしての知り合い」が必要な時って実は、結構あるんです。

幼稚園に入園してみてしみじみ感じたのですが、行事って毎年同じようなことをやっていてその繰り返しなので、幼稚園から出されるお手紙などの配布物…「すでに知っていることを前提に書かれている」ことが実に多かった!(笑)

私はSEをしていたのですが、客先に納品するときにマニュアルを書く時があったのですよ。基本的に「システムが分からない人」に向けて書くのですが、やはり、どうしても、「知っていることが前提」で書いてしまうのです(そしてダメ出しがくるので修正するという日々でしたw)

幼稚園のお便りも、小学校のお便りもまさにそんな感じ。でも、それは仕方ないのですよね。
兄姉ですでに経験している人にとっては「知らない人前提」で書かれている配布物はまさに「情報過多」
2回目3回目の人は、ただでさえ読まないのに、情報過多だと読む気さえ起こりませんw
よくよく考えてみると、「第1子で初めての経験」っていう人はそんなに多くないことに気が付くのです。
そう、知らない人はマイノリティーであることに。

となると…

知らない人でも分かるように書くのが当然じゃない!と訴えてみるのか
自分でその「不文律」を知ることが出来るような仕組みを作るのか

どうするかは自分で決められるのです。

そして…私が居住している地域では、学校の欠席連絡は「連絡帳」という、なんともアナログな仕組みなのです。
ということは…
(双子が同時入学でもない限り、)何人兄弟でも第1子が入学してから第2子が入学するまでの間は、

子供が学校を休んだら、誰かに連絡帳を持って行ってもらわなくてはならない

のです。ということは、ママ友とまではいかなくても、

「連絡帳を快く引き受けてくれる」程度の関係性を持った知り合いは「最低1人」必要になるわけです。

保護者会で話す人がいなくてもいいけど、行事の詳細が分からなくても最悪仕方がないと思えるけど、連絡帳だけは誰かと知り合いにならないとどうにもなりませんね。

私はコミュ障だからそんなの出来ない!というのか
それくらいの関係性を保てる知り合いを1人作るのか

…どうしましょうか?

 

続く。

 

 

 

 

 

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