本当の課題から逃げると、時を経て形を変えてやってくる

こんばんわ。
そろそろ締め切りが迫っている記事執筆が一本あるのに、ちっとも進まないよっちゅんです。

今回は、私が高校3年生の時に「不安から逃げ」たことがあって、その「不安」は20年以上経った今でも形を変えてやってきている、という話です。

(画像はイメージです)

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「失敗したらどうしよう」症候群

私の記憶の中では、
幼稚園の時に、すでに掛け算九九が言えて、中学漢字の本をを読んでいました。
小学校の時に勉強で苦労したことが全く無くて、勉強が出来なくて困っている子の
気持ちがまるで分からなくて。

でも、私は、95点でも褒められた記憶が無くて「100点取れるにはどうしたらいいか考えなさい」って親から言われたので「100点取れない私はダメな子」設定でした。

だから、「こんなにダメな私でも95点取れるのに、何でみんなは点数が取れないの?」

という謎の思考回路のもと、(本人は自覚がないけど、結果として)他人をバカにしまくってました

そう。
自己肯定感が下がりに下がっていた私が、手っ取り早く自分を瞬間的に満たす方法として
相手をディスって自分を上げて優越感に浸る
というのを、身につけてしまっていました。
それが、例えどうでもいいことでもいいのです。
本人は(無意識だったとしても)最善を選択しているのです。
というわけで。
何か知らんけど勉強は出来る
でも、私は「出来ない子」。
(元ネタ:自分を大切にする」って、どういうこと!?「ゲスい女。②」)
↑私のamebaブログの過去記事です。

そんな私の勉強貯金はついに高校生の時には完全に底をつき、お世辞にも「できる子」とは言えない成績に。
「ダメな子」設定しておきながら「できない自分」認定も出来ない…という、今思えば鬼のような矛盾を抱えたまま時が経っていくのです(そりゃ苦しいわけだ!)

だから、プライドだけは高かった…

 

分からないことが聞けない

例えば、数学の問題で解けない問題があるじゃないですか。
でも、小学校の時に「何でこんな問題もできないの?」って他人に放った言葉が

自分に返ってくるのです…

えー今さら、みんなが分かっているような(実際に分かっているかどうかは謎w)問題を分からないなんて聞けないって、余計なプライドが邪魔をするんです。
それでも頑張って勇気を出して1回は聞きに行ったんです。でも、1回聞いてちゃんと理解できていないのに「分かりません」って恥ずかしくて言えなくて、分かったふりをしてしまいました。

受験科目の変更

ま、当然、できないと言えないプライドゆえ、「大学に合格しなかったらどうしよう」って不安ばかりが大きくなってくるわけですよ。

でも、成績が上がる見込みがない(と思い込んでいる)。
でも、親は浪人を許さない。

でも、「分かりません、出来ません、誰か助けてください!」って言えない。

見事なまでの「デモデモダッテ」ちゃんw

文系だけど社会じゃなくて数学で受験しようと思っていたのに、いきなり数学受験を放り投げて世界史受験に切り替えるんですよw高3の夏休みにwww
世界史はひたすら覚えるだけだった。時間が無くてもとにかくひたすら覚えるだけだったし、保険として英語と国語だけで受験できる大学も受験したw

とにかく「失敗したらどうしよう」から逃げたかった。

今の自分が過去の自分に言えるとしたら「そこ、分からないとこ、素直に『分からない』って言ってみ?不安から逃げると、後で絶対後悔するよ」って言えるんだけどねw
だから、何か、ニュースとか見て「えっ」って思わずにいられない事件とか信じられないようなことをしちゃう人の気持ち、分かるよね。「この人、どんな不安から逃げるためにこの行動を起こしたんだろう」っていう視点でニュース見ちゃうもん。

追いつめられると投げ出しちゃう

今思えば、あの頃本当に欲しかったのは、ピンチになった時に立ち向かえる勇気が出せる心の土台なのかな、と思います。
うまくいってもいい、うまくいかなくてもいい
そう言える、心の土台。
ひょっとしたら、それは、成長過程で身に着けられる子も多いのだと思うんだけど、残念ながら、私はそう言ってもらう経験が無かったからなのか、身につけないままここまで来てしまったらしい。
だから、設定が「うまくいかなかったらダメ人間」なのね。
だから、「失敗したらどうしよう」という状況になると、もっともな言い訳をかき集めてきて、目標のレベルを下げて、何とかして「うまくいく」状況を作り出して、その場をしのいできたのです。

今でも思い返す「あのときああだったら」

でもね、今でも時々思うんですよ。
「あの時、諦めずに『分からない』と向き合っていたら、今はどんな人生だったんだろう」って。
あの時諦めた自分をずっと責めていました。
大学を卒業して社会人になって結婚して…、いよいよ出産って時に

子どもにこれを伝えてもいいんかなぁ

と自問自答を始めちゃったわけですwww
子育てには授業も教科書もなく、親から育てられた経験が自分の子育ての「すべて」
価値観や固定概念は、意識しないうちに親のものを引き継がれているんですよね。
「親からこんなことを言われて嫌だったなぁ」って幼い頃に思ったとしても、おそらく、それをそのまま子どもに言ってしまっているケースは多いですよね。

だから、私は、そこを変えるということにフォーカスを当てる決心をしました。
でも、これ、結構辛いのよ。「臭いものにふたをする」ように、その場をやり過ごした方が絶対に(その瞬間の)気持ちは楽だもん。
多分ね、これね、めちゃくちゃ汚れているトイレの便器の中に素手で手を突っ込み雑巾1枚で洗うって決めるのと同じレベルの決心だと思うよwそれって私だけかなw

それで、いろいろな勉強会とかセミナーとか講演会とか言ったし本も読んだけど、たくさん読んだ中で私が動くきっかけを作った船越耕太さんの本はこちら↓

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