彼の目的は何だったのでしょう?
こんにちわ。同居嫁16年目のよっちゅんです。
今日は、義父母旅行中に背筋が凍るような事件が起きました。
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もくじ
彼の目的は何だったのでしょう?
我が家の場合、息子は1人っ子で、同居しているのが父母と祖父母。
そう、息子以外は全員「大人」なのです。
なので、もっと幼いころから、彼は、「自分が子ども扱いされること」をひどく嫌がります。
「自分だけ仲間外れ」みたいな発想があるのでしょうか。
で、おじいちゃんとおばあちゃんが旅行に行っているので、
「お仏壇はボクが守る!」
みたいな、貢献したい意識が芽生えていたようで。
お花も取り替えたり、お茶も入れたりしています。
…で、私がちょっと目を離したすきに…
お線香に火をつけるべく、ライターで火をつけていました…
「これはダメ」と伝えなければならない時
では、それを大人の価値感フィルターでのみ捉えて
- 危ないんだよ!
- 火事になっちゃうよ!
- もうおうちに住めなくなるよ!!
と感情を交えて怒って叱り倒して、子どもに真意がつたわるでしょうか?
ここでは、確かに「これはダメ」だと伝えなくてはならない場面だと思います。
ただ、頭ごなしに怒鳴ったり怒ったりすると、肝心な部分は伝わらず
ママに怒られた、怖かった
ということしか伝わらない…あるあるです。
仮に今後やらなくなった、としますね。
「ママに怒られて怖かったから」
これしか伝わらなかったら、子どもは、何で怒られたか分からないままです。
将来、自分で判断して「やらない」のではなく、「怒られるからやらない」という子を親自らが量産している、と言えなくもないのです。
子供はどうしたかったのだろうか?
では、視点を変えて、今回の行動で、彼は「何をしたかったのか」に視点を当ててみることにします。
日ごろの彼の行動と、その時彼に質問したところ
今回の場合の彼の願望は
- 人の役に立ちたい
- 自分も他の人と同じように扱って欲しい
でした。
人は、願望を達成したい、という欲求に駆られ、それを達成するために具体的な行動を起こします。そして、その行動は、その人がその人なりにそのタイミングで考えうる最善の行動であるということなのです。
その時あった願望を実現するための最善の手段が、たまたま「お線香に火をつける」という行為に結び付いた…のですが。
やはり危ないものは危ないし、見逃せる行為ではありません。
「人の役に立ちたくて、自分なりに考えた」「大人と同じことをしたかった」という部分と「お線香に1人で火をつけようとした」という部分を切り離します。
なので、
みんなの役に立ちたかった
みんなと同じことをしたかった
その気持ちはわかる。
だけど、1人でライターで火をつけるのは、ママは認めません。
悔しいかもしれないけど、子どもはそういうものです。
ライターが、子どもの力ではどうしてつきにくいか分かる?
今まで、キミと同じようなことをして、火事になって悲しい思いをした子がいるからなんだ。
今、もしおうちが燃えたら、キミは責任を取れるかい?
だから、「ボクを子ども扱いするな」「ボクはやれるんだ」という気持ちはわかるけど、
片手でライターを使えるまでは1人でライターを使ってはダメなんだ。
大人になるまでは、ライターは大人と一緒に使うこと。
と怒りを混ぜずに話しました。
これでは「僕も何かに貢献したい」という欲求は満たせていないですが、親として出来ることがあるとすれば、「どこか別の機会に満たせるお手伝いをする」だけです。やはり、誰が何と言おうとそれはダメなものはダメなのです。
そこで、仮に子どもが逆ギレしたり、泣いて罪悪感に訴えるようなことをしたとしても、やはりダメなものはダメ、です。
自分の価値観フィルターと相手の価値観フィルターは違う
ついつい、親としては「子どもを正しく導かなければ」という思いとか
「ダメなことは何としても止めさせないと」という思いから、
相手の思いを置き去りにして一方的に自分の「正しさ」を押し付ける
やってしまいますよね。
相手の中にも、相手なりの「正しさ」が存在することを忘れてしまっては、相手は「自分のしたことを分かってもらえない」と悲しくなるだけです。
ちょっと待てよ、なんでうちの子、これがしたかったんだろう?
ワンクッション置いて考えてみてもいいかもしれません。
で、こういうトラブルがあった時に、「何がしたかったの?」と聞いて相手が答えられるかどうかは
日ごろ、親子の関係性をどれくらい意識していたか、が重要なのではないか、と考えています(^^)
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